鰻の蘊蓄 その4 鰻の養殖事始め 

 15年ほど前に鹿児島の池田湖に怪獣が住んでいる、と言う噂が立ち、
マスコミが大挙して取材をしておりましたが、結局大きな鰻であったという騒動が
ありました。鰻という生物は、海から川を上り、川やそれにつながる池・沼・湖などに
生息し、成長してまた海に帰り産卵するというサイクルで生活をしておりますが、
何かの拍子で(例えば天変地異などにより棲家の湖や池が閉鎖されてしまうなど)
海に帰ることが出来なくなるとその場の主として巨大化してしまうことが儘あります。

江戸時代よりこの習性に目を付けて、川を堰き止め大きな池にして鰻や、鯉、鮒などを
生け簀のように住まわせるという事業は良く行われていたようです。
例えば明和年間出羽のさる藩主が堀に鰻を放流したとか、会津の松平容敬が
猪苗代湖に鰻を移植したというような記録があります。しかし餌を与えて育てて
行くというわけではなく、あくまで公共事業としての移植であり、養殖と呼ぶことは
出来ません。鰻の養殖の創始者と言われる人は

 慶応2年  寺田彦太郎  (静岡県福田→愛知県桑名)
 明治12年 服部倉治郎  (東京府深川→静岡県舞阪)
 明治24年 原田仙右衛門(静岡県新居)
         那須田又七  (静岡県舞阪)
 明治29年 奥村八三郎  (愛知県神谷)

などがあげられます。

これらの人々に共通することは、養殖の現場として
静岡県西部から愛知県東部、旧国名で言えばと遠江から三河に掛けてに
集中していることです。現在でも鰻の養殖日本一は奥三河一色であります。
また静岡県も今でこそ生産量では第4位に没落していますが、
(第1位愛知県、第2位鹿児島県、第3位宮崎県)昔からの産地で、
浜松には「うなぎパイ」なる銘菓まであります。
これは気候が温暖で安定した平地で、川または湖の海に流れ込む間際で
(一色は矢作川、舞阪・新居は浜名湖、福田は太田川、吉田は大井川)
淡水が程良く海水に混じり合う周囲であることが共通点です。

さてリストの一番最初の寺田彦太郎は福田(現静岡県磐田郡福田町
’ふくで’と読む)の庄屋で、横須賀藩主西尾隠岐守
(神奈川県ではなく現静岡県小笠郡大須賀町)の命によって
太田川の築堤・開墾工事を行い、
その際に出来た池にウナギ・フナ・スズキ・クロダイ・ボラ等が棲みついたのを見て、
水門を設けて養殖場にしたとのことです。
これは偶々巧く言ったと言う僥倖の産物で意図的に鰻を養殖したわけではないようです。
彼が計画的な鰻の養殖を始めるのは明治29年愛知県桑名に移ってからでした。

本邦初(他の国で鰻の養殖が行われた記録はないので世界初?)の鰻の養殖は
服部倉治郎と言うことになります。


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