その3

鰻丼の誕生


日本料理は酒の肴としての料理であると言われます。そもそも洋の東西を問わず、料理の発達は
如何に酒を旨く飲ませるかと言うことにありまして、現在でこそ「こんな料理にはこういう酒が合う。
(ワインなど)」などと通は言いますが、これは流通が発達して、いろいろな酒が手にはいるように
なってからの楽しみ方で、もともとはそこ飲むことが出来る酒に合わせて料理を工夫すると言う事が
料理発達の歴史であったはずです。
ちなみに私見ですが鰻料理には日本酒ならばやや辛口、ワインならば一寸渋みのあるやや重めの
赤ワインが合うと思います。

 
閑話休題、現在でも料理屋(或いは旅館など)では御飯は酒盛りの後、料理がなくなってから
汁物と一緒に出てきます。鰻料理も江戸時代以前は勿論、蒲焼が今のような形になった
江戸時代中期以降も酒の肴としても食されてきましたが、鰻蒲焼というすばらしい料理は、
日本料理の枠を越えて高級な食事としても発達していきました。
 
今でも見ることの出来る深川辺りを描いた錦絵や黄表紙の挿絵には「江戸前大かばやき、附めし」
と幟を立てた鰻屋を見ることが出来ます。この「附めし」とは、
「当店では蒲焼だけでなく御飯の用意があります。」と言う意味で、天明の時代に霊岸橋の大黒屋がはじめ、
すぐに江戸中の鰻屋がまねをしたとされています。
これが鰻丼の起源とする説もありますが、これは蒲焼に御飯をセットした物と考えるのが適当なようです。
 
鰻丼の起源として言われているのは「文化の時代に日本橋堺町の芝居金主大久保今助が、
蒲焼の冷めるのを嫌って御飯の中に入れて(一説では御飯の上に置いてふたをして)おき、
芝居の間に食べたところ大変美味しかったのでこれを真似する者が出てきた。」と言う説、
「四谷伝馬町の三河屋某に務めていた男が暇を貰い、丼の飯に鰻蒲焼を
さし挟んで64孔で売り出したところ大変繁盛したが徐々に値段は高くなっていった。」とする説、
「関西風の蒲焼は蒸さないため冷めるとすぐ堅くなる。これを御飯と一緒に食べるため、
蒲焼を一口大に切って御飯の中に入れておく。これを「まぶし飯」から「まむし」、
或いは「間で蒸す」から「まむし」という。これが江戸に伝わり鰻丼になった」とする説、
そのほかにも牛久沼発祥説、など諸説ありますが、何れにせよ江戸中期には鰻丼(鰻重)の形が整い、
いわゆる店屋物の始まりは鰻であります。
 
さて鰻の価格についてですが、記録によりますと「鰻蒲焼1皿176~200文、鰻飯100~200文」
とあり、米1石1両=4貫文と言うレートに換算すると、米1升(1.3㎏)が40文、
米1㎏500円とすると蒲焼の値段は3000円前後、鰻は江戸の昔より高価な食べ物だったのです。


 
Copyright © 2000(C) 鰻割烹 大 和 田 all right reserved.