この看板は昭和20年代に当時東洋硝子の役員であった 喜多戯庵(きた さあん)氏が岡田常三郎に送った書を元に作ったものです。 書家としても高名な氏は、よく売掛のかたに書を書いていったと ご子息である東硝社長の喜多さんが仰っていました。 ”鰻の一番旨い、関西柳河、関東板東太郎東二里江戸、大和田”とあります。