大和田とは

大和田の由来


”大和田”という名の鰻屋が、何時何処で出来、なぜ”大和田”と言う名前なのか? 
残念ながら全く解っていません。
一説には江戸中期に千葉の大和田出身者が創業したのではないかと言われています。

少なくとも江戸末期には10軒以上あったことは、現存する鰻屋番付によって確認できます。
しかも”嘉永年版蒲焼商番付”を見ると(実は私も現物を見たわけではなく、業界紙掲載のものを
見ただけですが、)なぜか”大和田”は ”行司”になっています。
つまり番付を超越した存在であったと想像されます。

当社の沿革について、3代目岡田 常三郎(現社長の祖父)の履歴書に寄りますと、
「明治26年大叔父(浅井某)が尾張町大和田より暖簾分けを許され有楽町にて開業。」となっております。

岡田常三郎は大正末期2代目浅井より暖簾を引き継ぎ、戦前は12店舗(”おかだ”名の鰻屋を含む)の多店舗
展開を行いました。当時の本店は新宿1丁目にありましたが、昭和6年開店の新橋店に力を入れ戦後は本店を
新橋に移し、現在に至ります。

■戦前のポスター
・昭和10年ころ


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・昭和15年ころ

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看板について


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この看板は昭和20年代に当時東洋硝子の役員であった喜多戯庵(きた さあん)氏が岡田常三郎に送った書
を元に作ったものです。書家としても高名な氏は、よく売掛のかたに書を書いていったとご子息である東硝
社長の喜多さんが仰っていました。
 
”鰻の一番旨い、関西柳河、関東板東太郎東二里江戸、大和田”とあります。

 

大和田のロゴについて


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現在使用している大和田のロゴマークは、豊橋在住のデザイナー、味岡伸太郎氏の作です。

「鰻屋の”大和田”は非常にポピュラーな屋号。何か他とは違う商標が必要だ」と常々考えていた当時の社長、
四代目岡田幸二は、ある日新聞に味岡伸太郎氏の記事を見て、この人にお願いしたいと決めました。
こうして出来たのがこのロゴマークです。以後、このデザインが当店のロゴマークとなりました。
 

大和田の美術品

 

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左の写真は、大和田中興の祖岡田常三郎です。

戦時中から戦後に掛けて、食料統制令という法律によって飲食店は通常の
営業が出来なくなってしまいました。
岡田常三郎も食料統制令違反で何度か留置場を経験したとのことです。
しかし飲食店として営業が出来なくなっても何らかの方法で食べて
いかなければなりません。
戦争中は出入りの大工・経紙屋・左官屋・ペンキ屋等の職人を組織して
飛行機の操縦訓練装置(今で言うところのフライトシュミレーター)を
製造する会社を設立しましたが、木と紙で出来た操縦練習装置でした
ので大した役には立たなかったようです。


戦後になるとそのような装置は、全く無価値になります。
次に始めたのはアパート経営でしたが、家賃の取り立てに行き、戦争未亡人になった女性が家賃を払えないで
困っており、近くで子供が泣いていると、子供に小遣いを与えて返ってきてしまうような人でしたので、
すぐに破綻してしまいます。
結局以前から趣味としていた古美術商を副業で開業します。
 
その頃からの蓄積で大和田には美術品が多く展示されています。
今回ご紹介するのは絵画です。

左の絵は雑誌の企画で伊東深水先生とお嬢さんの朝丘雪路さんの対談が
当店で行われた際、深水先生に無理にお願いして描いていただいた作品です。


伊東深水 作 新粧、横山大観 作 栗鼠

新橋店では季節に合わせ書画の掛け替えを年に6回程度行っています。
お料理以外での大和田の楽しみ方の一つです。


 
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